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浦和地方裁判所 昭和36年(わ)14号 判決

被告人 和久井尚一

大一五・五・一七生 自動車運転者

主文

被告人を懲役一年に処する。

未決勾留日数中三〇日を右本刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、前橋市萱町二九番地清水建設株式会社前橋出張所に自動車運転者として勤務しているものであるが、

第一、昭和三五年一二月一八日午後三時頃、被告人が以前勤務していた前橋市横山町四七番地青果物商、八百菊の店員橋元盛から頼まれ、同人を助手席に乗せ、同店所有の小型貨物四輪車(群四す七、三四五号)を運転して東京都神田市場に行き、密柑約五〇〇貫を積んで帰途につき、前橋市方面に向け、時速約四〇粁で一七号国道を進行中、同日午後一〇時頃、埼玉県大宮市大成町三丁目四一一番地先に差しかかつた際、道路の中央に佇立して自動車の通過を待つていた東孝平(当五二年)の姿を約二六、七米前方に認めたが、かかる場合、自動車運転者たるものは絶えず前方を注視し、佇立者の動静に、よく注意し、速力を相当に減じ、佇立者が移動することがあつても直ちに臨機の措置のできるようにして事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるに拘らず、なんら徐行の措置を執らず、漫然、同一速度を以て右佇立者の前方を通り抜けようとした業務上の過失により自動車の直前に進出した右東孝平に、車体の右側ライトの上部を接触させ、よつて同人に対し左前額部に長さ約五糎深さ骨膜に達する挫創、左眼瞼部外側に長さ約三糎の骨膜に達する挫創等の傷害を与え、同人を道路上に跳ね飛ばし、脳震盪をおこし、意識を失い、頭部顔面等から出血の甚だしい同人を運んで附近の歩道上に放置したまま自動車を運転して、その場から逃走したため、同人が身体を移動させた際、右傷害のため手足の動作が意のままにならず、右放置場所から約二・一米東方に距つた幅四〇糎、深さ約四〇糎(水の深さ約二〇糎)のコンクリート製の側溝内に身体を顛落させ、同人をして同側溝内の汚水に顔面をつけ遂に溺死するに至らしめ

第二、前記第一掲記の如く、被告人の惹き起こした交通事故のため、前記東孝平が前記のように頭部、顔面等に傷害をうけ、脳震盪をおこし、意識障碍を来したため、同人は独力による正常な起居動作が不可能に陥つたので、同人を保護すべき責任があるのに拘らず、医師の手当を求める等、同人に対する救護措置を執ることなく、前記歩道上に運搬して放置したまま自動車の運転を継続して逃走し、同人を遺棄し、因つて前記第一記載のとおり同人をして溺死するに至らしめ

たものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張並びに当裁判所の判断。)

弁護人は

(1)  検察官は、被告人には前方注視義務違反による高度の過失があり、その義務を怠つたことが、本件業務上過失傷害事故発生の原因である旨主張するけれども、被告人は二十五、六米手前において道路前方に佇立していた被害者を認めたが、被害者が幼児であれば徐行するなど、それ相応の措置を講じたと考えられるが、被害者は成人であるから、同人において、被告人の自動車が安全に通過するのを待つてくれるものと考えるのが当然で被告人はそう考えて進行を続けたところ、不幸にして通過の瞬間に被害者がよろめくように接触したものであるから被告人の過失は軽微である。

(2)  被害者は傷害を蒙つてから歩道に運搬された後、自己の意思により身体を移動させ、それにより側溝に顛落溺死したものであるから、因果関係は中断され、被告人の行為と被害者の死亡との間に因果関係はない。

(3)  保護責任者に遺棄罪の成立する場合は法律上保護責任を負担している者が犯した場合に限定さるべきもので、被告人には保護責任はない。刑法第二一一条においては死傷を一括して規定しておるので、傷害を与えた者に保護責任を認め、遺棄罪の成立を認めることは業務上過失致死罪に比較し、著しく刑の権衡を害する結果となり失当である。

旨主張するので次に判断する。

(1)の主張に対し

自動車のような高速度で疾走する車を運転する者は、事故の発生を未然に防止するため、前方注視の義務あることは当然で、道路を横断しようとする者を発見した場合には徐行し、横断者の動静に注意し臨機応変の措置を執り得るようにする高度の注意義務がある。たとえ横断者が成人であつても必ずしもそのままの状態で佇立し続け、被告人の自動車が安全に通過するのを待つてくれるものとは限らないから、横断者が幼児たると成人たるとにより差等を設くべきでないことは明かである。従つて高速度で疾走する車を運転する者としては当然本件の如き結果を予見すべき注意義務があること明瞭である。然るに被告人は二十五、六米の前方に、被害者の佇立する姿を発見しながら、この注意義務に違反して事故の発生を予見せず、従つて減速措置を執らず、時速約四〇粁の高速で疾走し、本件傷害事故を惹き起こし、その結果致死させたものであるから被告人の過失は決して軽微ではない。

(2)の主張に対し

一般に特定の行為から特定の結果が発生した場合、その行為と結果との間に、若し前者が無ければ後者もなかつたであろうという関係があり、しかも前者から後者の発生することが一般人の知識経験に徴し、これを認識し得る場合には、その行為をなした者は、その結果発生につき原因を与えたものと解すべきである。

これを本件について見るに、被害者東孝平は被告人の判示第一掲記の業務上の過失ある行為に基因し、判示の如き傷害を受けて脳震盪をおこし、意識不明出血多量の状態に陥つたものであるから、被告人としては後記(3)において判断するように保護を加うべき責任があるのに、これをなさず歩道上に運搬し、横たえて遺棄したものであるから、かような被害者が、受傷による苦痛を訴え又は出血多量のため渇を覚え、意識朦朧の間に身体を転々させ、歩道上をのた打廻ることのあるべきこと及びそのため歩道脇の側溝に顛落する危険のあるべきことは一般人の知識経験により認識し得るところである。

而して被害者東孝平が被告人に遺棄せられた場所から約二・一米隔つた側溝内に顛落して溺死するに至つたものであるから同人の死と被告人の業務上過失傷害との間、及び遺棄行為との間には、法律上の因果関係あるものと解するを相当とする、従つて因果関係の中断はないものと認める。

(3)の主張に対し

遺棄罪は老幼不具又は疾病のため扶養を要すべき者を遺棄するにより成立するもので、その保護責任は、法令の規定、契約、又は社会的常規(公序良俗)等により定まるもので、被告人が本件交通事故により被害者に負わせた傷害の程度が判示の如きもので、被害者の独力による正常な起居動作を不可能ならしめたものであるから、被害者東孝平は、保護者遺棄罪の客体たる「病者」に該当する。而して被告人は交通事故を惹き起こした自動車の運転者として、道路交通法第七二条第一項前段により傷害をうけた被害者の救護を義務づけられておるので刑法第二一八条第一項にいわゆる病者を保護すべき責任を負う者に該当する。

以上の理由により弁護人の主張は何れも排斥する。

(法令の適用)

法律に照すに、被告人の判示所為中、第一の所為は刑法第二一一条、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、第二の所為は刑法第二一八条第一項の罪を犯し、因て人を死に致したものであるから同法第二一九条、第一〇条に従い、右第二一八条第一項所定の刑と同法第二〇五条第一項所定の刑とを比較し重い同法第二〇五条第一項の刑に従うべく、第一の罪につき所定刑中禁錮刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文第一〇条により重い第二の罪の刑に同法第四七条但書の制限に従い法定の加重をなし、その刑期範囲内において処断することになるので、情状について考えると東けさと、清水誠市の司法警察員及び検察官に対する供述記載を綜合すると、被害者は事故前夕食のとき焼酎一合五勺位飲み、衝突事故の直前、判示国道の中央辺に佇立し恰も交通整理をするように両手を上下、左右に動かしており静止の状態になかつたことも認められ、情状酌量すべきものがあるので、同法第六六条第七一条、第六八条第三号を適用して法定の減軽をなし、その刑期範囲内において被告人を懲役一年に処することとし、同法第二一条により未決勾留日数中三〇日を右の刑に算入する。なお訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項により全部被告人の負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 西幹殷一 白井博 鵜沢秀行)

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